小さな助け合いの物語賞

本仮屋ユイカ賞(1編)

お互いさん

西田 金吾 (大阪府)

彼とはよき仕事仲間であり、よき遊び仲間でもあった。時々、物忘れをすることはあっても、お互いさんと、私は一向に気にしなかった。約束の日を忘れて、待ちぼうけを食らっても許せる仲だった。

その彼が若年性認知症と診断された。まだ定年前だったが仕事を辞め、生きる気力さえも失ってしまった。これまで笑って過ごしていたのに、忘れる事が恐怖だと一人で、もがき苦しむようになった。

認知症は病気と闘うのではない、病気と上手に付き合うのだ。そんな私の励ましのことばも彼には通用しなかった。彼が笑顔を取り戻すにはどうしたらいいだろうか。お互いに体力も衰えてきていた。案ずるよりも実行だ。「一緒に市民マラソン大会に出よう」と彼を説得した。

翌日から、二人のトレーニングが始まった。初めのうちは短距離走のように最初から飛ばして息が上がってしまったり、毎回同じコースを走ってもコースを外れてしまったりと彼が自信を失くすような日々が続いた。こんなトレーニングは楽しいのだろうかと私も不安になってきた。それでも毎日走っていると体力もつき、走った後の達成感が次の意欲へと繋がっていった。

マラソン大会当日、彼は不安と緊張感の中でスタートを切った。「マイペース」「リラックス」と「伴走」のゼッケンをつけた私はずっと側で励まし続けた。この大会には私も選手としてエントリーするつもりだったが、「伴走者」として登録された。認知症の彼がこれから地域で生きていくために私はそのエスコート役になった。沿道から彼に声援が送られ、彼もそれに応えて手を振って応えている。

いよいよゴール、「さあ、ラストスパート!」と彼に最後の声をかけた。彼は大声援の中、笑顔でゴールを駆け抜けた。そして不安そうに見守っていた奥さんのところへ駆け寄り抱き合った。私は熱いものが込み上げた。無事に走り終えた彼は、力強く「認知症でもやったらやれる」と宣言した。

マラソン大会後、彼に声をかけてくださる地域の人が増えた。彼も笑顔であいさつを交わすようになった。今日も彼とおしゃべりしながら走る。彼が忘れている事もあるが、私が忘れている事もある。「忘れたことを忘れたと言える。友だちっていいな」と彼が言った。私はそのことばが嬉しい。

認知症もいつか通る道、仲間で支え合い、地域で支え合いたい。明日に希望を持って笑顔で生きようと。

(原文のとおり掲載しております。)