小さな助け合いの物語賞

《中高生部門》

入選(4編)

自分が何かできることはないか

木下 陽 

この世の中は、親切と思いやりで溢れている。細部に目を向けてみると、数えきれないほどあるが、多くの人は当たり前だと感じ、それについて立ち止まって深く考えることはない。思いやりのある行動、そして感謝を互いにし合い、みんなで助け合う素敵な世の中になってほしいと私は考えている。

「小さな助け合い」という言葉を聞くと、例えば電車で席を譲ったり、分からないことについて教えたり、励ましあったりと直接対人同士でのやりとりが思い浮かぶだろう。そうすれば「ありがとう」という感謝の気持ちをその場で伝えられ、幸せな感情になるはずだ。私にもこのような体験はたくさんある。嬉しく幸せに感じ、そしてなによりすがすがしい気持ちになる。

だが、私はこれとはまた別の類の小さな助け合い、思いやりについて目を向けようと思う。それは、私たちが心地良く生活するために陰ながら支えてくれる人たちの存在だ。トイレを掃除してくれる人や、ボランティアとして地域をきれいにしてくれる人たちといった間接的に私たちをサポートしてくれる人が「いつもありがとうございます。」というような感謝の気持ちを伝えられるのはほんのわずかであろう。これは「助け合い」ではなく一方的に私たちを支えてくれているのだ。何かできることはないか。トイレをきれいに利用したり、落ちているゴミを自ら拾ったりとできることはたくさんあるはずだ。

中学生の頃、公園で遊んでいると缶ジュースやペットボトルといったゴミが散乱していた。私たちは帰り際にそのゴミを捨てようと思い拾い始めた。すると、近くにいたおじさんに「えらいね。ありがとう。」と言われたのだ。私は嬉しく良い気持ちになった。今まで一方的に支えられていたが、こういった行動によって「小さな助け合い」に一歩近づいたと思う。

「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えられなくても、陰ながらに私たちを支えてくれる人のために何かできることはないか探そうと思う。また、友達や周りの人のために陰ながらでも支えられるような大きな人間になりたいと思う。

(原文のとおり掲載しております。)