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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第9回 しんくみ大賞一般部門
トラとトリ
塩田 友美子(東京都)
「お願い、いい子だから泣き止んでね」
都会の電車は人が多いのに驚くほど静かだ。
静寂の中で我が子の泣き声が響くつらさは、育児中の私も幾度となく経験してきた。
まだ一歳にもならないくらいの小さな男の子だが、声は車内に大きく響いている。汗だくになってあやしている母親の気持ちが痛いほどわかり、見ていられない。
それでも、他人の私に一体何ができるだろうか。通路を挟んで向かい側の席だし、話しかけるには遠い。結局何もできやしないじゃないか。
そう思っている最中、四歳になる娘が
「これ、あの子に貸したい」
と、自分のトラのぬいぐるみを貸したいと申し出た。私は驚いた。
肌身離さず大切にしている物だっただけに、「力になりたい」という娘の決意を感じる。
私は他人ごととして、ただ眺めていた自分が恥ずかしくなった。
「そうだ、そうしよう!」
私たちはその親子に近寄り、娘はぬいぐるみを動かしておどけた声を出す。
その子はピタリと泣き止み、ぬいぐるみに手を伸ばした。
「ありがとうございます」
母親は困った顔から、やっと初めて笑顔をのぞかせた。
娘も喜んであやし続けたが、二駅ほど過ぎるとまたぐずり始めてしまった。
すると、隣にいた年配の男性が、なにやらバッグをごそごそしている。出してきたのは、手のひらサイズのトリのキーホルダーだった。
「こんなんじゃ、だめかなあ」
なんて、照れた様子でその子の前でぶらぶら動かした。
しかし、その子は泣き止まなかった。
「もっとかわいいのがあればなあ」
と困ったように男性は笑ったが、私は彼の行動に強く胸を打たれた。
結果はどうであれ、傍観者から脱した彼の勇気と優しさは尊敬に値した。
ふと周りを見ると、乗客がスマホから目を離してやさしい笑みを漏らしている。
彼らの温かな行動に対して、周囲が同意しているようにも見えた。
あの手この手で努力をしても、こどもが泣き止まないことはある。
私自身もそのたびに、車内で肩身の狭い思いをしてきた。
しかし、世の中には手助けしたいと思っている人も、ちゃんといるのだと知る。
目の前でおどけるトラとトリを見ていると、誰もがここにいていいのだと感じた。
娘やその男性のように、思い切って行動に移す人は少ないかもしれない。
それに、手を差し伸べても結果的には助けられないこともあるだろう。
それでも行動することで、誰かの気持ちを軽くすることくらいはできるのではないだろうか。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
目に涙をためて、何度もお礼を言うその母親と自分自身を重ねた。
それからは娘のぬいぐるみを見るたびに、私にも何かできるかもしれないと思うのだ。
なにか行動しなければ。あのトラとトリのように。
(原文のとおり掲載しております。)