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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品

第9回 優秀賞一般部門

恩送り

角谷 けいこ(北海道)

中一の秋、私は突然学校へ行けなくなった。体が震えて登校できない。激しい動悸で胸が苦しく、脂汗が出て動けない。理由がわからず、親にも説明できない状態が続いた。こんな私を誰も理解してくれない。まるで犯罪者扱いされ、毎日のように親に叱られる。先生は、最初は心配してくれたが、時間の経過とともに無視されるようになった。私の存在はどこにもない。部屋から出ることなく、完全に引きこもりとなってしまった。当時は「不登校」という言葉がなく、私は厄介者として、隔離された生活が続いた。時間だけが経過し、気が付くと17歳になっていた。完全に昼夜逆転の生活で、なんとかしたくても、どうすることもできない。外に出る第一歩として、とりあえず毎朝7時、駅の売店に新聞を買いに行くことにした。駅に行くと、登校や出勤する人たちで慌ただしい。私とは別世界で、孤独感がさらに強くなり、一日で挫折してしまった。新聞だけだと買い物の楽しみがないので、ジュースも買ってみよう。おやつも買ってみよう。少しずつ外出する頻度を増やしていき、毎朝の日課となるように努力した。

駅の途中にあるクリニックの院長夫人が、毎日ゴミ拾いをしている。三ヶ月くらい経ったある日、あいさつされた。「おはよう。毎日会いますね」私は無視したが、翌日も、翌々日もあいさつされた。「あ、おはようございます...」最初は蚊の鳴くような声であいさつを返したが、少しずつ会話するようになっていった。「昨日のアントニオ猪木とモハメドアリの異種格闘技戦すごかったね」「はい。今日の新聞の1面です」

私は5年間も引きこもっていることを打ち明けた。「大丈夫、大丈夫。人生は長いから焦ることないよ」はじめて自分が肯定され、人間として認められたような気がした。心がスーッと軽くなり、涙が止まらない。声を出して泣いた。

院長夫人は看護婦(現在の看護師)で、患者さんにも慕われている。

「私も看護婦になりたい」私の心の中で、夢が芽生え、そして膨らんでいった。

親に相談すると、「学校も行ってないのに無理でしょ」のひとこと。私は一念発起して、大学入学資格検定試験を受けることを決意した。算数は小学校の問題からやり直し、3年かけて自力で大学入学資格検定試験に合格することができた。そして一浪して看護学校に入学。しかし勉強についていけず、早くも留年することに。5年かけてどうにか卒業し、二度目の受験で看護婦免許を取得した。何度もあきらめかけたが、そのたびに院長夫人が励ましてくれた。

看護婦になるのに10年以上費やした。私はそのクリニックに看護婦として就職し、30年間、毎日患者さんに向き合ってきた。身体の病気、心の病気、けが、不登校など、患者さんの悩みには診療科目を問わず寄り添い続け、来年、定年を迎える。

私の全てを受け止め、助けてくれた院長夫人への恩は、これからもずっと地域にお返ししていく。私の一生をかけて。

(原文のとおり掲載しております。)

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