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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第9回 入選一般部門
心の目で見える本当の姿
紀伊 保(愛知県)
僕は地下鉄で通勤している。時々、白い杖を持った目の不自由な女性が乗ってくる。
その日は、珍しく空席がまばらにあったが、その女性には席が空いていることがわからなくてドア付近に立っておられた。電車が揺れたときに転んで怪我をしたら大変だと思い、少しだけ勇気を出して、声を掛けた。
「こちらの席が空いていますよ」
その女性は「ありがとうございます」といって座られた。
丁度その電車にやけに派手な格好をした女子高生たちが乗り合わせていた。短いスカートと真っ赤な口紅、髪の毛はクルクルの茶髪で、「お前ら学校に勉強しに行ってないだろう」というような女の子たちが、なにやら楽しそうに大きな声で話していた。なんだかなぁと思ったが、日常とはそんなもんだ。
考えてみると、忙しい現代人にとって、他人のことを気にする暇なんてないのかもしれない。誰もが自分のことに精一杯で余裕がない。ゲームやSNSに支配されていても、それにも気づかないほどセカセカと生きている。
でも、こんな時代でも人を気遣う優しい心は決して消えていなかった。
しばらくして、その目の不自由な女性が降りられた。僕の降りる駅はまだ先だったので、ホームを歩いて行かれるその女性を電車の窓越しに見ながら、「大丈夫かな」と心配していた。すると、先ほどの派手な格好をした女子高生たちも、たまたま同じ駅で降りていった。彼女たちは、目の不自由な女性に気づいて「大丈夫ですか?この先エレベーターがありますよ」と声をかけて誘導していたのだ。
彼女たちのさりげない優しさ、屈託の無い笑顔に本当に感心した。人は見かけによらないというが、その女性には元々彼女たちの派手な姿は見えていないだろう。きっと心の優しい女子高生の姿を想像していたのだと思う。
ある本を読んでいて、目の不自由な方は、素晴らしい想像力があると聞いたことがある。想像力というより、心の目によって「本当の姿」が見えるのではないのだろうか。
その間、車内の人たちは、相変わらず何の反応も無い。多くの人たちが、能面のような顔で携帯電話をいじっている。もし心の目で見たとき、彼らの姿は、温かみの無い銅像か機械にしか見えないのではないだろうか。
こんな時代だからこそ、僕は心の目で見られても温かな人間でいたいと思った。あの女子高生たちのように小さな行動をしていこうと決めた。
日本人が大切にしてきたものは「和の心」だ。自分だけがよければそれでいいというものではなく、互いに助け合い、周りの誰もが幸せになれる文化だ。2年後の東京五輪には、世界中から人が集まる。そのときに日本の良い文化を知ってもらいたい。まずはそのための小さな行動からだ。そして僕は、その日から道路にポイ捨てされている空き缶やペットボトルをそっと拾うようになった。
(原文のとおり掲載しております。)