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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品

第10回 しんくみ大賞一般部門

声をつなぐ

宮澤 由季(埼玉県)

 昔、私の家の前にはバス停があって、母は8時になるといつもそこに立っていた。いつの頃からか目の不自由な中年男性がこのバス停を利用するようになったからだ。バスは10分おきにやってくる。3つの路線が行き交うため乗り間違える人が多かった。どんなきっかけがあったか分からないが、私が気づいた頃には、母は杖をつくその男性と挨拶を交わし、「今からくるバスは別方向ですから、その次のバスですよ」とか、「車道との境に水たまりがあるから気をつけて」と話していた。同時刻に小学校へ登校する私も、その男性に「いってきます」と言うようになっていた。バス停の私たちは、いつの間にか日常風景になっていた。
 夏休みの終わり、母の胸にしこりが見つかった。病気ひとつしたことのない母はひどく落ち込み、私は同じ病気で亡くなった友人の母を思った。すぐに再検査の予約が取れ、9月の最初の月曜日、母はバス停に立つことなく朝早くに病院へ向かった。私は母から、「明日はバス停に立てないから、ママの代わりにあのおじさんをよろしくね」と言われていた。少し気恥ずかしさを感じながらも、私は8時にバス停に立った。男性はすでにバス停にいた。
 「おはようございます」と私は声をかけた。少しの沈黙の後、「おはようお嬢さん。今朝はお母さんいないのかな」と言った。私は母から検査のことをあまり周囲に言わないように言われていた。「はい。そうなんです」とだけ言い、あと何分でバスがくるとか、今日は暑いですね、なんて会話を少しだけした。男性の乗るバスがもう到着するという頃、「お嬢さん、何かあったのかな?」と言われた。「え?」と私が口ごもっていると、「週末にお友達と喧嘩でもしたのかな?それとも夏休みの宿題が終わらなかったのかな?」と男性は続けた。私は驚いて「おじさん、わかるの?」と聞いた。男性は「わかるよ。いつもの君は、明るく弾むような声をしている。まるで小鳥みたいにね。でも今日はちがう。どこか不安や悲しみを抱えているような声だ」と言った。私は思わず泣きそうになった。震える声を抑えて、「お母さん病気かもしれないの。」と男性に母のことを話した。男性は優しくうなずきながら聞いていた。バスは一本見送ってくれた。そして、「お母さんはきっと大丈夫さ」と言った。「何でそう思うの?」と私が聞くと、「だって先週ここで話したお母さんの声を、僕はよく覚えている。いつもと変わらない元気でハツラツとした声だった。あんな声をした病人を僕は知らない。だからきっと大丈夫だよ。」と言った。私は嬉しかった。男性の声は陽だまりのようにあたたかく、私はとても気持ちが楽になった。そして男性の言う通り、母の腫瘍は良性だった。
 あの日、私は男性の声に助けられた。それは普段から母の声が男性を助けていたからだと思う。私はこの声で誰を助けられるのだろう。声を、つなげていきたい。

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