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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第10回 入選一般部門
あいさつ一つから
宮﨑 みちる(千葉県)
高校一年生の時だった。朝、駅へ向かう途中、直線の道路に出たところでその人の姿が遠くに見えてきた。黒い長靴に薄汚れたTシャツ、ジャージ姿の白髪のおじいさんだ。毎週火曜日の空き瓶と缶の収集日、その人は決まってゴミ置き場に現れた。周辺には異臭が漂っていた。足早に通り過ぎるサラリーマン、OLらの中には、胡散臭そうにおじいさんを見下ろす人や、露骨に避けて歩く人もいた。
私もはじめは、たんにゴミをあさっている人だと思っていた。だが何度も遠目から眺めているうちに、その人は無雑作に山と積まれた袋を一つ一つ開けて、瓶と缶に分別して整理をしているのだと気が付いた。飲み残したまま捨ててあるものはバケツにあけ、瓶はきちんと並べ、缶は一つ一つ潰していた。
そういえば、以前、ゴミを回収すると分別に手間がかかって自治体などでも困っているという話を聞いたことがあった。各自治体では分別方法の書いてあるパンフレットを各家庭に配布してあるはずだ。本来は私たち一人一人がやらなければならないことをおじいさんは、自主的にやってくれていたのだった。
はっとした。私たちは彼に支えられている。おじいさんは、雨の日でも作業をもくもくとやっていた。そんな姿を見ているうちに、ありがたいと思う気持ちが強くなってきた。せめてお礼の言葉をかけられたら・・・。だが私は、人目を憚り気恥ずかしく、なかなか声をかけられなかった。
「おはようございます。ご苦労様です。」
と、小さな声で言えたのは、それから一か月後のことだった。おじいさんは、作業していた手を止めて顔を上げ、びっくりしたような表情を見せたが、やがてにっこり笑った。
「ああ、ありがとう。」
日焼けした顔いっぱいに皺を寄せた笑顔が、清々しかった。胸につかえていたものが取れたような思いがした。声をかけて良かった。
それからは、おじいさんとあいさつ程度だが言葉を交わせるようになった。そして、その日は一日、気分が良かった。気が付くと、そばを通る人々もおじいさんに対して和やかな目を向けるようになっていた。
ある日、学校から帰る途中で「こんにちは」と、にこやかに声をかけられた。ステッキを片手にソフト帽をかぶったお洒落な老紳士だ。私は誰だかわからなかったので、軽く会釈をして通り過ぎようとした。するとその人は、「いつも声をかけてくれて、ありがとう。あなたのひと言が、励みになっていますよ。」と、帽子を上げながら言った。
はっとしてその人を見ると、彼は顔に皺いっぱい寄せて笑った。その笑顔は、まぎれもないゴミ置き場のおじいさんだった。
たったひと言のあいさつをこんなに喜んでもらえていたなんて。もっと早く声をかけていればよかった。互いの気持ちの通じた瞬間。
心の中を爽やかな風が吹き抜けていった。