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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第10回 入選青少年部門
善悪で判断するということ
宇田川 志乃(東京都)
ある日、私は毎朝のように駅に着くと、通勤通学ラッシュで人混みの中、あるおじいさんを見つけた。先端が赤い白杖をスライドさせるようにして前方を確認している姿から、おじいさんは視覚障がい者である事がわかった。朝の忙しい時間帯の改札近くではそんなおじいさんのことなど見えていないかのように、全員が通り過ぎていく。私は、そんな中歩くおじいさんを、心が痛くて見ていられなかった。しかし、助けてあげるとなると乗りたい特急を逃してしまう。その上、あまり時間に余裕は無かった。仕方がなく、私も見て見ぬふりをする他無かった。そう思って、私は改めてホームへ向かった。電車が来るまで待っている時、おじいさんの方をチラッと横目で見ると、おじいさんの前には階段がそびえ立っていた。私がいつも普通に上っている階段は、おじいさんの前ではそびえ立っているように見えた。私は気づいたら電車がホームに到着する直前、おじいさんのもとへ走っていた。そして、
「おじいさん、ごめん。」
私は、おじいさんにそう声をかけていた。おじいさんは驚いて立ち止まった。
「おじいさん、私は、ちょうど駅を歩いていた高校生です。今、おじいさんの目の前に階段があるんです。私に何かお手伝いできることはありますか?」
以前、テレビで目の見えない人には自分が何者かを名乗った方が良いというのを見たことがあったので、言われた通りに声をかけた。するとおじいさんは、また驚いたようにして、今度は私の方を向いた。そして、
「では、私の右手を抱えて、支えてて頂けますか?」
おじいさんは私にわかりやすく指示をしてくれた。私はその通りにおじいさんを支えると、おじいさんと一緒に階段を一段ずつ上った。
「あと五段あります」など、私は時々声をかけた。その度におじいさんは「はい、ありがとう」と必ず返事をしてくれた。おじいさんと一緒にホーム階に登り終わった頃には電車は二本過ぎていた。だがきっと、私の心をホッとさせてくれるものは電車に間に合った時の安心感ではなく、おじいさんに言われた
「本当に助かったよ、ありがとう」という一言だったと思う。
今考えてみると、あの時最初におじいさんではなく電車を優先しようとした自分を非常に情けなく、小さく思う。困っている人に気づくことが出来ても、見て見ぬふりをするなら気づかないで通り過ぎる人と同じである。あれからおじいさんを見かけることは無いが、あの事をきっかけに自分が今何を一番優先すべきかという正しい判断ができるようになった。これから私はあと何人の人を助けられるのか楽しみだ。私は、自分の損得で判断せずに善悪で判断できる人間でありたい。