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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第12回 しんくみきずな賞作品・入選者
夫に会わせてくれた人
渡辺 惠子(徳島県)
今から五年前。徳島から伊勢神宮に夫婦でドライブ旅行に出掛けた時のことだった。神宮まで五百メートルほど離れた駐車場に車を止めて二人で歩いていたら、おかげ横丁で多種多様なお土産物に目を奪われ、夫の姿を見失ってしまった。私は人混みの中、しばらくその周辺を探してみたのだが見つからず、仕方なく最寄りの喫茶店に入った。そして夫に連絡を取ろうとしたところ、私のスマホは夫のバッグの中に一緒に入れてもらっていたことに気付いた。
私は一瞬にして血の気が引いた。スマホがないと、夫に私の居場所を知らせる術がない。誰かに電話を借りようにも、夫の電話番号を暗記していない。車も、どこの、どの場所に駐車したかも覚えていない。私は絶体絶命のピンチに、放心状態になっていた。はた目にも私の様子がおかしいと感じたのだろうか。隣のテーブルに座っていた年配の男性が私の傍にやってきて、ノートに、「何か困ってるの?」と書いた。怪訝そうな顔をした私に、彼は右手の人差し指で自分の耳を指して、手を左右に払う仕草をした。その時私は、彼が聴覚障がい者であることを悟った。彼はページをめくり私にペンを差し出した。私は躊躇しながらも、自分の今の状況を書いてみた。彼は席に戻り、腕を組んで、しばらく考え込んでいるようだった。しばらくして突然彼が立ち上がり、ニッコリ微笑みながら私に親指と人差し指で〇印を作って見せた。彼はカウンターの中にいる店主のところへ行き、筆談をしているようだった。十分ほど経ち、彼は特大サイズの包装紙とマジックを持って私の前に立ち、ノートに、「あなたの名前は何ですか?」と書いたので、私は不思議に思いながら、その下に自分の名前を記入した。彼はその字を見ながら、マジックで包装紙両面に太字で大きく、「渡辺惠子 ココにいます!」と書くと、その包装紙を持って、外に出た。慌てて後を追うと、彼はP箱の上に立って、包装紙を両手で広げて高く上げ、まるで旗を振るように左右に揺らし始めた。呆然と立ちすくむ私に、彼は中で待っているように促すジェスチャーをした。店の中で、やきもきしながら座っていると、突然、ドアが開いて、満面の笑顔で彼が入ってきた。何と彼の後ろには、夫がいた。
その瞬間、不覚にも涙が溢れた。奇跡的に夫と出会えたからじゃない。見も知らぬ私に、ここまでしてくれた彼に、言葉では言い尽くせない感情が心の奥から突き上げてきたのだ。筆談してまで......。そして、道行く人たちの好奇の目にさらされながら......。彼は私のためにどんなに恥ずかしい思いをしただろうか。別れ際、「お名前と連絡先を」と、彼に書いて見せたが、彼は、はにかみながら首を横に振って、とうとう教えてはくれなかった。
コロナ禍で、彼は元気にしてるだろうか。
あの時の彼の勇気と思いやりは今でも私の頭から離れない。名前も分からぬ恩人に、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思う。