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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第12回 未来応援賞作品・入選者
パスケースの中の千円
中村 日向子(東京都・東京都立北園高等学校)
真夏の夕方、都営三田線日比谷駅。部活の練習が終わった後、私はいつも通りホームで電車が来るのを待っていた。帰宅ラッシュの時間帯と重なり、構内はかなり混雑している。電光掲示板で電車の時間を確認するために周りを見回すと、綺麗なグレイヘアのおばあさんが目に飛び込んできた。不安げにキョロキョロと周りを見渡しながら歩いている姿から一瞬で、この人は困っているのだと分かった。
引っ込み思案の私は何度も迷った末に、頭の中でシミュレーションを繰り返して
「どうかされましたか?お一人ですか?」
と思い切って声をかけた。
「夫(おとうさん)がいなくてねぇ。」
おばあさんは不安そうな声で答えた。どうやら旦那さんとはぐれてしまったらしい。
「じゃあ一緒に旦那さん探しましょうか。」
と言いかけたその時、おばあさんの鞄に赤いカードがついているのに気が付いた。ちょうど家庭科の授業でそれについて学んでいた私は、すぐにそれがヘルプカードだということが分かった。
急いでポケットから携帯電話を取り出し、緊急連絡先に電話をかけて事情を話す。電話にでた旦那さんは焦った様子で、
「すぐそちらに行きますから」
と言った。
十五分ほど待つと旦那さんは迎えにやってきた。聞けば、観劇帰りにふたりで歩いていたところ、はぐれてしまったそうだ。おばあさんは認知症なのだという。そのおばあさんといえば安心からだろうか、焦っている旦那さんを横目ににこやかな笑みをうかべていた。
「申し訳ない」「ありがとうね」と繰り返す旦那さんに
「いえ、あまりお気になさらないでください」
と言って別れを告げ、やってきた電車に乗ろうとしたとき、
「あ、お嬢ちゃん!」
と呼び止められた。振り返ると旦那さんが
「これ、貰ってくれる?」
といいながら几帳面に三つ折りにされた千円札をこちらに差し出した。
「そんな、いただけないですよ。いいです、いいです」
何度もそう言う私に旦那さんは
「お礼をしないんじゃこちらの気が済まない」
と言った。発車のベルが鳴り始めたので、
「では、ありがたくいただきます。大事に使います」
と伝えて電車に乗りこんだ。
家に帰りついても私はその千円札を見つめていた。高校生にとっての千円は結構な大金だ。そのうえ引っ込み思案の私が初めての人助けで貰ったお金なんてもったいなくてどう使えばいいかわからない。しばらく考えた末、もし私が誰かに助けてもらったときにあの旦那さんみたいに渡す、お礼の千円にしようと決めた。その時が来たらいつでも取りだせるように、今でもその千円札はパスケースの中に入っている