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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第13回 ハートウォーミング賞作品・入選者
満員電車内の盲導犬
松岡 智恵子(長野県)
コロナ禍になる前年、夫と関西方面へ旅行に行った。朝の通勤ラッシュを避けたにもかかわらず、車両事故で一時間以上も遅れた電車内はギューギュー詰めだった。
停車駅にはあふれんばかりの人人人......。一刻でも早く職場や学校へ行きたい人たちが、ドアが開くたびに乗り込んできた。初老の私たちはあまりの苦しさに顔をしかめた。
やっとドアが閉まり、出発した時だった。
「もう少し詰めて下さい。ここに犬がいます」
出入り口付近から女性の声がした。
――え? 犬。こんな時にペットが乗ってるの。
身動き取れない電車の中で、少し腹立たしさを感じた。背の高い私は苛立ち紛れに、声のする方を見たがサラリーマン風の男性たちが見えただけだ。彼らも必死で高い場所の吊り輪を握っていた。どこからともなく、
「盲導犬だ」「盲導犬みたい」
さざなみのように声が聞こえてきた。通勤電車の他人同士の声が、伝言ゲームのように私のもとへと伝わってきた。
「盲導犬なんだって」、夫に話しかけた。
「混んでいて気の毒だな」、夫もつぶやく。
全く面識のない隣の女性たちも「盲導犬」と小声で話していく。
「すみません。もう少しだけ、詰めてもらえませんか。犬が踏まれています」
先ほどの女性の声がした。
盲導犬が座っているのか、立っているのかさえわからない。だがその犬は踏まれても鳴き声一つ立てず、懸命に耐えていた。
すると電車の中で不思議な動きがはじまった。これ以上身動きがとれないと思った電車の中で、乗客が少しずつ移動をはじめたのだ。
吊り輪を持っていた男性たちが、出入り口の吊り輪から一つずつ遠ざかっていくのが見えた。若い男性たちが楯になり、盲導犬に押し寄せる人なみを押し戻すようだった。
その動きは私たち夫婦の元へも訪れた。
「すみません」、隣の若い女性たちに声をかけながら、ほんの一歩か二歩ではあったが、出入り口から離れるように詰めた。隣の女性も、またその隣の乗客へ声をかけながら、わずか一歩二歩だったが動いていく。それ以降、女性の悲痛な声を聞くことはなかった。
大きな駅に着いた。乗客たちは言葉を交わすこともなく、弾けるようにプラットホームへ出て行った。
最後に白杖を持ち、ハーネスをつけた盲導犬を連れた人が静かに降りた。
降りたところで、女性に一言二言声をかけていた。様子から初対面のようだった。
時間にして恐らく十分か十五分ほどの出来事だ。互いに名も知らない乗客同士が一人の女性の声で、盲導犬や連れていた人を守るために協力し合っていた。
今でもこの小さな助け合いを思い出すと胸が熱くなる。