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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第14回 ハートウォーミング賞作品・入選者
やさしいおじさん
井上 瑞穂(大阪府)
雨が降ると、感謝も一緒に降り注ぐ。5年経っても鮮明に覚えている人がいる。
あの夏の日は、暴風雨で警報が出ていた。当時3歳児だった息子は発熱と嘔吐でぐったりしていて、受診を要した。タクシーも空きがない状況だったので、天候が落ち着いた一瞬の隙に、ベビーカーに雨具をつけて徒歩で病院へ向かった。処置をしてもらい息子は少し落ち着いた。しかし、外は自転車や看板が飛んでいくのが見えるほどの暴風雨。徒歩帰宅は厳しいとわかった。当然この時もタクシーは不可。でも、病院の診療時間は終わっていたので、ここを出なければいけない。距離は1kmもないし、行きは歩いてきたんだ。やはり歩いて帰ろうと、雨具の用意をしている時だった。
「あかんあかん、今出たら飛ばされるで!」受付前にいた、知らないおじさんに声をかけられた。腕には注射跡を覆うシールが貼られていた。しかし、状況的に、私たちには徒歩という選択肢しかなかった。私は彼にそのことを話し、心配をしてくれたことにお礼を言って病院を出た。おじさんが走って駐車場に行くのが見えた。仕事用のワゴン車だろうか、急いで荷物を後ろへと積み直している。
「家どっちや?」「○○交差点の近くですが......。」「偶然やな、俺もそっちやから、乗り!」おじさんはずぶ濡れになりながら、私たちを先に車に乗せてくれた。全く見ず知らずの親子を。隣の処置台におそらくいたおじさんは、息子に嘔吐症状があることも知っている。そして何より、おじさん自身も体調が良くない。だからこんな日にもわざわざ通院されているのに。息子の症状は少し落ち着いてはいたが、まだ顔色は悪かった。私は「もし車を汚してしまったら......。」と気になってしまい、袋を持ったまま息子を極力喋らせないよう必死だった。しかし、おじさんは「元々いろんな物積んでるし、なんも気にせんといてよ!」「お母さんようがんばりはったなあ、俺、子育て任せきりやったから色々頭が下がるわ......!」と私を励ましてくれた。さらに、息子にもアニメの話や豆知識など、会話を通して緊張をほぐしてくれたのだ。
最短ルートには、往路では普段通りだった大きな木が倒れていたため、迂回してもらった。こんな中をベビーカーを押して歩いていたら......。失礼だが、普段だったら警戒してしまうだろう知らないおじさんのやさしさに、車の中で涙が溢れた。「ここで大丈夫かな?」自宅近くの屋根のある場所でおろしてもらう。お礼を伝えて息子をおろすと、息子は今日一番の元気な声で「ありがとう! やさしいおじさん!」と言った。この一言がすべてだ、と感じた。
車は反対方向へ進んでいった。「偶然やな、俺もそっちやから!」15分前のやさしさに溢れた嘘が、もう一度頭の中で再生された。大雨ですぐに見えなくなってしまったが、人としてとても大きなやさしいおじさんの背中に、2人でいつまでも大きく手を振った。