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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第15回 ハートウォーミング賞作品・入選者
車椅子を押してくれたむじゃきな手
地濃 和枝(東京都)
これは随分昔の話です。輝ちゃんは背が高くなって、「ひょろ」という言葉がぴったりな細身の男の子に成長していました。「お姉さんのことを覚えている?」と聞くと恥ずかしそうに、こくりと頷いてくれました。頭を撫でたくても、輝ちゃんが屈まないと届かないほど、大きくなっていました。
私が輝ちゃんに出会ったのは、15歳のときに入園した、ある肢体不自由児施設でした。
私は難病に罹り4年ほど病院に入院していたのですが、機能訓練をするためと、学業に復帰するため、その施設に転院したのです。
施設は病院と違い斜面に建っていて、広い敷地内は坂が何カ所もあるという構造でした。入院中リハビリを行っていた成果で、車椅子にはどうにか乗れるようになっていたものの、毎朝、この坂を自分の力で登る体力はありませんでした。入園してしばらくは職員の人たちの手を借り、坂を上がっていたのですが、これからどうしようかと職員の方と相談をしているのを、輝ちゃんはどこかで見ていたのでしょうか。
ある日のことです。学校に行こうとすると、9歳になる輝ちゃんが私の部屋に来てくれました。「輝ちゃん、なーに?」と聞くともじもじしています。「これから学校に行くところなのよ」と言うと、にこにこしながら私の後ろに回り、車椅子の手押しハンドルのグリップを握ったのです。輝ちゃんは知的障害で話すことが出来ませんが、人の話は理解できました。そのまま輝ちゃんに車椅子を押してもらい、微笑んで見ていた職員に「輝ちゃんと学校に行ってきます」と挨拶をして学校に向かいました。それから毎日、輝ちゃんは私が学校に行く時間になると、私の前に来てくれました。それを見て真似をしたのか、輝ちゃんが楽しそうにしていたからか、やはり知的障害で輝ちゃんより年下の信ちゃんも一緒になって来てくれました。2人とも言葉を発することは出来ませんが、朝になると、嬉しそうに元気いっぱいに駆けつけてくれました。輝ちゃんがグリップを握って、信ちゃんは隣について3人での登校でした。それは私に体力がついて、自分の力で坂を上がれるようになるまで、何カ月間も続きました。来る日も来る日も来てくれた2人の、屈託のない笑顔が今でも忘れられません。
輝ちゃんに再会したのは、私が職能訓練を受けるために退園して7年ほど経った頃です。
再会してから50年近くが過ぎました。私の人生は障がい者ということもあり、苦難が多いものでした。それでも短い間ですが結婚をし、車の免許も取りました、心が折れそうになることも実際多かったのですが、そういうときは、途方にくれていたあの朝、ひょっこり現れた輝ちゃんの笑顔と、2人の小さな両の手を思い出しました。人生の途中で何度も背中を押してもらったように思います。