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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品
第15回 ハートウォーミング賞作品・入選者
一杯のコーヒー
西崎 正一(兵庫県)
もう30年近く前の、冬のある日の出来事。当時上京して働いていた私は、遅めの正月休みを頂いて実家の神戸に帰省した。帰省翌日、体験したことのない恐怖が襲ってきた。1995年1月17日。愛した街並みは崩れ、ラジオでは友人知人の名前が犠牲者として流れた。私の目からもとめどなく熱いものが流れた。数日間身動きも取れず、ただただ絶望に打ち拉がれる日々を過ごしたが、21日に東灘から大阪港へ船で行けるという知らせが来た。上京して仕事をせねばならない私は翌22日、藁にもすがる思いで実家の中央区から瓦礫の山を歩き始めた。
どれくらい歩いたのだろうか。行き止まり、通行止めの連続でどの道を辿ったのかもよく覚えていない。寒さに震え、クタクタになりながらも必死に歩いた。目的地の青木の近くに着く頃には疲労困憊で、もう動けなかった。その時、どこからか声が聞こえた。「コーヒーいかがですかー? 温まって行ってよー、元気だそうよー」私はその声に誘われるように、声の方へ進んでみた。そこにはほぼほぼ潰れた店の前でコーヒーを無料で笑顔と共に配ってるおばさんの姿があった。彼女は私を見つけると、紙コップにコーヒーを注いでは笑顔で持ってきて私の手にそっとコップを渡しながら「あらあら、疲れた顔しちゃって。しんどいよね、でもこんな時こそ頑張らなアカンよ? ほら、元気出してレッツゴーやで!」と笑ってみせた。私は不覚にも泣いてしまった。自分の店も倒壊して大変なのに、それでも他人を気遣う優しさが心に沁みた。私は涙と共にコーヒーを啜った。未だにあんなに優しく、温かく、余韻が残るコーヒーには出会ってないくらいに素敵なコーヒーだった。私はおばさんの笑顔と一杯のコーヒーに元気をもらって、どうにか再び歩を進め、波止場で船に乗り込み東京に帰ることができた。
以後神戸に帰ってきた私は幾度となくその場所を記憶に頼りながら彷徨い探したが、ついぞ発見することはできなかった。お礼は言えず今に至る。だが、そのおばさんの笑顔は未だに私の心の中に鮮明に残り続けている。知らない人から頂いた、「たった一杯のコーヒー」。しかしその中には、思いやりも優しさも笑顔も元気も勇気も未来も、何もかもが詰まった、私にとっては「たった一杯だけのコーヒー」である。
それ以来、私は自分のことだけでなく周りの人も助けながら生きることを心掛け、今まで生きてこれた。その全ては一杯のコーヒーから始まったと言っても過言ではない。今ではもっと弱者の役に立ちたくて単位制の高校に通い、法科大学を目指して今年受験を控えるまでに至った。もうそのおばさんに会ってお礼をいうことは叶わないかもしれない。しかし、その時に頂いた温かさ、優しさ、思いやりのバトンは私に確かに渡った。私はそのバトンを次の走者に渡すべく、自分と周りに向き合いながら言葉を紡いでいる。「どした? 元気ないやん。コーヒー飲みに行こか」、と。