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「小さな助け合いの物語賞」受賞作品

第15回 ハートウォーミング賞作品・入選者

街角の外交官

梅田 純子(新潟県)

 何(ホー)君が、私の勤める大学へ留学生としてやってきたのは、二〇一二年のことだ。それはキャンパスの紫陽花が連日の雨に洗われて、紫の色を一段と増した頃だった。
 日中関係が緊迫していることが原因で中国人留学志願者が次々と取りやめる中、彼だけは初志貫徹し、予定通りに来日した。
 授業初日、アパートから大学まで三十分ほどの道のりを一人で歩いて来るという何君が心配で、私は普段より早めに教室へ行ったのだが、それよりも一足早く彼は到着していた。
 暑さの中を長時間歩いて来たからなのか、顔は赤みを帯び、頭の先から汗がふき出て、髪がぐっしょりと濡れている。
 何君は私を見つけると駆け寄ってきて中国語交じりの日本語で興奮気味に話しかけてきた。
「ぼく、大学に来る途中で迷子になって、しかも雨がだんだん強くなってきて、頭の中が真っ白になって、『どうして日本になんか来たんだろう』って、後悔して......」
 私の脳裏には、異国の街角で途方に暮れている何君の姿が浮かんだ。
「大変だったね」とねぎらいの言葉をかけると、意外にも彼は嬉しそうに話を続けた。
「そうしたら、通りかかった日本人のおばさんが、『どこに行くの?』って声を掛けてくれて......先生の名刺を見せたら、その人が車で連れて来てくれたんですよ!」
「ぼくの両親は、日本人は穏やかで優しい人たちだって言っていました。本当にそうだとわかりました」彼は、赤い顔をさらに赤くして、こう締めくくった。
 私は何君の話を聞いて、彼の頭が濡れていたのは、汗をかいたのではなく、雨に濡れたからなのだと気づいた。
「何君、アパートを出るとき傘を持って来なかったの?」
「いいえ、持って来ましたよ。でもね、途中で雨が降り出して、僕の前を歩いていたお年寄りが濡れていたので、傘をあげたんです」
「えっ、自分の傘をあげちゃったの?」私はびっくりして聞き返した。
「はい」何君は、当然でしょ? なんで驚くの? とでも言いたそうな顔つきで、まっすぐに私を見つめ返した。
 先ほどまでの私は、何君をここまで連れて来てくれた日本人のさりげなくも勇気ある行動に感銘を受けていた。だがこのときの私は、自分が傘を差し出したことは至極当然と考え、それよりも見ず知らずの自分をここまで連れて来てくれた日本人の行動に感謝している、そんな何君の純粋な心にさらなる感動を覚えずにはいられなかった。
 今年もまた、手まりに似た愛らしい紫陽花がキャンパスに彩を添える季節がやってきた。
それは、新たな留学生がやってくる季節であり、街角のあちこちで小さな国際交流があふれる季節でもある。

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